RECRUIT INTERVIEW / A NEW CHAPTER
CAREERInterview会社がなくなった。私の可能性は、なくならなかった。
未経験から約3年、月額70万円の案件へ。6歳の子どもを育てながら、開発からPMへと仕事の幅を広げる荻野志麻。実家の会社の倒産、兄の誘い、学習の壁。その先に見つけた、自分らしいキャリア。

次のロールモデルへ。荻野 志麻 / エンジニア / PM
CAREERInterview会社がなくなった。私の可能性は、なくならなかった。
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会社がなくなった。
でも、私の可能性まで、なくなったわけじゃなかった。
元デザイナー。実家の運送業を手伝い、その会社の倒産を経験。次の道を探していた荻野志麻が、エンジニアの兄に背中を押されて技術の世界へ踏み出したのは、約3年前のことでした。
いまは6歳の子どもを育てながら、月額70万円の案件に参画し、大手公共機関のプロジェクトでPMとして顧客との折衝を担う日々。JavaやNode.jsの開発も、150名の受講生を支える研修も経験してきました。「最初からできる人」ではなかった彼女は、どうやって、任される人になったのか。地方で暮らす一人の女性の再出発を、インタビュー形式で届けます。
70万円は参画案件の月額単価です。本人の給与・手取り額ではありません。この記事では、荻野個人の経験と歩みを紹介しています。
CHAPTER 01 / START AGAIN会社の倒産。
「これからどうしよう」から、始まった。
デザイナーだった私が、仕事の土台を失った日。
いえ、まったく違うんです。もともとはデザイナーでしたし、実家の運送業も手伝っていました。そこからエンジニアになるなんて、当時は想像していませんでした。
でも、その会社が倒産してしまって。「これからどうしよう」と。仕事がなくなるというだけでなく、自分がそこにいる理由まで、急になくなったような感じでした。明日から新しいことを頑張ろう、とは、すぐに切り替えられなかったですね。
そんなとき、エンジニアをしている兄から声をかけてもらったんです。そこが、いまの仕事につながる入口でした。
「エンジニア? 私が?」。そこからの一歩。
いや、「私が?」ですよ(笑)。デザインの仕事でもパソコンは使っていましたけど、コードを書いてシステムを動かすのは別の世界に見えていました。パソコンを使えることと、プログラムが書けることは、全然違うんですよね。
それでも、この先も自分の力で働いていくために、何かを身につけたいという思いはありました。兄が技術の仕事をしている姿を知っていたことも、背中を押してくれたと思います。
自信ができたから始めた、という順番ではなかったです。まず始めて、できることを一つずつ増やすしかなかった。振り返ると、あのとき一歩踏み出したことが大きかったですね。
読めたはずなのに、書けない。何度もぶつかった壁。
そう聞くと、すごくきれいな話に見えますよね。でも、途中は全然きれいじゃないです。思うようにキャッチアップできなくて、つらかった時期もありました。説明を聞いて、その場ではわかったつもりなのに、自分で書こうとすると手が止まる。「さっきの理解は、どこに行ったんだろう」って。
知っている言葉が増えることと、仕事で使えるようになることは違うんです。Javaの文法を覚えても、画面、処理、データベースがどうつながるのか、自分でたどれないと動かせない。そこに何度も引っかかりました。
でも、わからないことを丸ごと抱えると、余計に動けなくなるんですよね。どこまでわかっていて、何を試して、どこから先がわからないのか。そこを整理して相談する。その繰り返しで、少しずつ、自分で進められる範囲が広がっていきました。
「わからない」を、相談できる形にする。
- 確かめる
- 何を実現したいか、どこまでは動いているかを整理する。
- 試す
- 小さく変更し、結果とエラーを確認する。
- 伝える
- 試したことと残った疑問を共有し、次の行動を決める。

CHAPTER 02 / BUILD YOUR VALUE書けるようになった。その先で、
人とチームを動かす仕事へ。
デザインの経験が、API開発でも活きる?
複数のバス事業者の運行情報をまとめて、バス停の表示機器などへリアルタイムに届けるシステムです。Node.jsとTypeScriptを使ったバックエンドAPIの設計・実装を担当しました。
事業者ごとのデータを、そのまま並べれば終わり、ではないんです。形式や品質の違いを整理して、同じ形で扱えるようにする。複数のシステムから集まる情報を統合して、表示側が必要なデータを使いやすく返す。画面に見える情報の裏に、そういう処理があります。
もともとのデザイン経験も、遠回りではなかったと思っています。情報をどう整理すれば、相手に伝わるか。何を見せれば迷わず使えるか。見た目を整えるときの視点が、データや資料をわかりやすくする仕事にもつながっているんです。
つまずいた人が、150名を支える側へ。
そうなんです。自分もつまずいたからこそ、答えを見せるだけでは解決しないことがわかるんですよね。エラーを直してあげても、本人が理由をつかめていなければ、次の場面でまた止まってしまう。
Javaの基礎からWebアプリケーション開発まで、質問に答えたり、学び方を一緒に考えたりしました。受講生の理解度は一人ひとり違うので、同じ説明をすればいいわけでもなくて。相手がどこで困っているかを聞くことが、すごく大事でした。
150名を直接担当した研修では、サブ講師10名をまとめるリーダーも務めました。受講生への対応に加えて、講師同士の連携や、企業の担当者との調整もあります。自分一人で全部やろうとすると回らないので、情報を共有して、チームで支える。その経験が、いまのPMの仕事にもつながっています。
月額70万円。その期待に、どう応えるか。
顧客との折衝や、プロジェクトを前へ進めるための調整です。PMは、ただ予定を集めて表にする仕事、というわけではないんですよね。何が止まっていて、何を確認すれば動くのか。お客様と開発側の話をつなぎながら、そこを整理していく仕事です。
相手に「どうしましょう」と渡す前に、何が論点なのか、どんな選択肢があるのかを考える。技術的な話も、わからないまま流さずに確認する。自分で開発を経験しているからこそ、つくる側の難しさも想像できます。
そうした仕事を重ねるなかで実績を認めていただき、いまの役割につながっています。70万円という案件単価は、私にとって、任せていただく仕事への期待の大きさでもあります。金額がゴールというより、その期待に仕事で応えていきたいですね。
顧客の言葉を、チームの次の行動へ。
開発の経験を土台に、課題・確認事項・優先順位を整理する。関係者と合意し、担当と次の行動を明確にする。荻野が広げているのは、人と技術の間でプロジェクトを進める、エンジニアリングマネジメントの役割です。

CHAPTER 03 / LIVE YOUR OWN STORY6歳の子どもを育てる私も、
仕事で挑戦する私も。
子育てと仕事。毎日、きれいには進まない。
子育ても仕事も、思いどおりに進むことばかりではないですよね。だから、気合いで全部なんとかする、という考え方だけでは続かないと思っています。どちらも大切だからこそ、仕事の進め方を考える必要があります。
時間に限りがあるなかで、いま何を優先するのか、先に何を共有しておけば周りが動きやすいのか。そうしたことを意識するのは、子育てとの両立にも、プロジェクトの仕事にも共通していると感じます。
完璧な母親で、完璧なエンジニアで、という見せ方は、ちょっと違うかな(笑)。迷うこともあります。でも、子どもを大切にする自分も、仕事で成長したい自分も、どちらも私なんです。その両方を持ちながら、できることを増やしていきたいですね。
地方にいる誰かの、「私にも」を増やしたい。
私の話を聞いて、「そういう道もあるんだ」と思ってもらえたらうれしいです。実家の会社が倒産したときには、いまのような仕事をしている自分なんて想像できませんでしたから。
もちろん、同じ道を同じ速さで進めるわけではないです。でも、過去に違う仕事をしていたことや、一度立ち止まったことが、その後の可能性を全部決めるわけでもない。私の場合は、デザインも、別の仕事で人と関わった経験も、いまの仕事の中に残っています。
「すごい人だからできた」で終わるより、最初は私もわからないことだらけだった、という部分まで知ってほしいですね。挑戦する人の近くに、学べる環境や相談できる人がいる。そのことは、とても大きいと思います。

「向いているかな」で止まっている人へ。
最初から自信がある人ばかりではないですし、私もそうでした。だから、いきなり人生を全部変えると決めなくても、まず少し学んで、何かをつくって、誰かに見せてみる。それだけでも、見える景色は変わると思います。
プロマリに興味を持ってくれた方には、これまで何をしてきたかも聞かせてほしいですね。「エンジニア経験はありません」で話を終わらせずに、どんな仕事に向き合ってきたのか、何が得意なのか。そこに、これからの強みがあるかもしれません。
私もまだ、途中です。もっと技術を理解したいし、チームを支えられるようになりたい。地方で暮らして、子どもを育てて、仕事でも挑戦する。その姿が、誰かが一歩踏み出すきっかけになったら、うれしいですね。
会社がなくなっても、
荻野 志麻 / エンジニア・PM
それまでの経験は、なくならなかった。
ここからまた、自分の未来をつくっていく。
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